【Monologue】売れない理由をユーザーが考えても意味がない

「Hello Mr.Cockroach!!」

ブログにツイッターにフェイスブックにタンブラーに…
承認欲求や自己顕示欲をエコノミックに満たすためのツールは今いくらでもあるし、それを利用する人間の数はまだまだうなぎのぼりで増えるんじゃないかという気すらする。

既存メディアが信用ならないと言われて久しいし、また口コミが結局作られたものだということも言われて久しい。

これらメディアの嘘を暴く事によって"それが嘘だった"という真実は得られたかもしれないが一定の価値観が崩れ去り基準というものが消え去った。

結果多くの人が自由になれたかというとそうでは無く、自分が従属するための新しい基準を探すための無駄な旅に出る事となった。

価値観の輪郭が定まらない今の時代、むしろ多様性という名の自由を投げだし心地良い波の流れに身を任せたいという人間は多数いる。

どこかぽつねんとした寂しい、そして認められたいという感情があり、そんな人間は誰かの信者になるか、誰かの教祖になろうとする。

未だ価値観を決められずにいる旅人を誘い込むため、既存メディアよりも更に疑わしい"真実"を口にする承認欲求を満たしたい人達が一斉に姿を現した。

そうして集合体化したコミュニティは新たな価値観化し、何かを強烈に見下したり馬鹿にしたりしだす。


ゲームというジャンルは他ジャンルと比べてもプレイヤーから一転し教祖様へと転職するケースは後を絶たない。

何ら実体験の伴わないゲーム市場分析や特定タイトルの売れなかった理由などの持論を糧として。

勿論昔から仲間の間でそういった事は交わされていたのだろうけれどインターネットを通して見えるところにドバッと出てくるとゴミ収集車がひっくり返ったかのようである。

"お前の出しているものはゴミでは無いのか"という声が聞こえてくる。

残念ながら全方向に対して自信を持って違うと言う事は出来ない。

となると私もインターネットのゴミ情報の一部なのだ。

2014年がはじまってから日は浅いものの、今年はインターネットでなるべく余計な物を読まない、だとか、読んでしまってもうまい形で我慢して消化するという事を意識して生活している。

そうでもしないと折角出来た暇な時間、ゴミはゴミに反応しやすく、反応すると新たなゴミを生み出す。そして何より大切な時間をゴミな事に費やし気味である。

我々にはゲームという大好きな趣味がありながら、である。

ゲームゴシップの中でも一際どうしょもない、そして興味のないトピックは"ゲームが売れなかった理由"である。

私は大体この手の「~が売れなかった理由」みたいなタイトルのものを見ると内容を予想し無視を決め込む。ツイッターなどで強制的に読まされるとため息が出る。

大体、「出す時期が悪かった」だとか「値段が高い」だとか「新しいジャンルのため認知度が低い」だとか「出すハードが悪い」とか「誰に向けたゲームか分からない」だとかあげればキリが無いが以上に挙げたごく当たり前の、別に専門家でなくとも分かる事、言うなれば「この納豆は納豆の味がする」という内容のものがさも卓見であるかの様に"らしい言葉づかい"で記されているだけだからだ。


2014年1月23日にうた組み575という名前からいっても全く売れそうにないゲームが発売された。

値段はドラゴンズクラウンより1000円安い程度で、女の子がいくらかわいいにしてもこれは高いなと感じた。

しかし私がドラクラの様なファンタジーが大好きなようにそれ以上にこの世の中には美少女が大好きという人が沢山いるのだから、別に売れる可能性だってなきにしもあらずである。

そして何より売れたか売れないか問わず自分にとって面白ければ万々歳ではないだろうか。

現に買った人は楽しんでるわけだし、売上を語る理由は何一つないわけである。
万が一売れたら、それは自分の事の様に嬉しい、売上はそれくらいの意味しか持たない。

さてうた組み575が発売され自分の周辺でもほんの僅かの盛り上がりを見せてきた頃から数日後、私はこのゲームの「飛び出せ授業」という名前の歌のPVに思いのほかはまってしまい(もっというと癒されてしまい)、改めてこのゲームについて調べてみると以下の記事を見つけた。


ゲームかなー「うた組み575が売れなかった理由を考える」
http://blog.gamekana.com/archives/7526791.html


ド直球のタイトルであり本来なら読まないタイトルの記事である。

が、しかしこのサイトは管理人様がゲーム情報をまとめるだけでなく積極的に私見を書いていくスタイルらしい事から、もしかしたら、自分が想像するような事とは全く違う事が書いてあるかもしれないと思った。

それに、このサイトはかなりアクセス数があるのだろうし、それは面白かったり興味深かい内容が書かれているであろうからで、そこそこ内容を期待したのもまた事実なのだ。

自分はブログを書くにあたって、他の人がゲームについてどんな記事をどんな文体で書いているのか興味があって読んでみたりして非常に勉強になったりする。

今回も自分の固定観念を取っ払えば学べるところがあるかもしれないと思って読む事にしたのだった。

結果は残念ながら予想した通りかそれ以上に悪い事が書かれていた。
(引用文は強調する)

「創り手の気合いが感じられる内容と聞いていますし」

といった又聞き丸出しの文だとか

「昨年スマホ向けに配信された「うた詠み575」のPSVita移植版だと認識していた人も少なくないかもです。スマホ「うた詠み575」PSVita「うた組み575」は漢字1文字が違うだけですし、人間は認識しやすい数字「575」に意識を引っ張られて「同じゲーム」と思われた可能性もあります」

などなどその分析そのものが非常にずさんである。

私がうた組み575を買わなかった理由は極めてシンプルであり、まず値段が高かった事、575という題材にゲームとしての荒唐無稽感を覚えた事、この二つである。

仮にスマホ版に似たようなゲームがあると知らなくても買わない理由は以上の二つで十分であり、後の「新規IP」で「新規ジャンル」で「基本無料ゲームと似た名前」で尚且つ「高価」でこれら4つの条件が重なれば売れる訳が無いという分析はこじつけ感が拭えず、記事の行数を増やすための相当無理ある水増しではないだろうか。

また、セガ社に対して

「「うた組みアクション」を推したいなら既存IPを使う、「新規IP」を推したいなら既存ジャンルを使う、といった妥協も必要だったような気もします。「野心的」「意欲的」なプロジェクトは素晴らしい事ですが、それが「欲張り」になってしまうと顧客の心は離れてしまうのでしょう。」

という釈迦に説法モンの有難いアドバイス付きで、ここまで行くともうセガの社員にでもなったらいいのではないかと思う。(ちなみにこの人の提案で生まれたゲームも恐らく売れない。)

「面白(そう)い新規タイトルなのに何故売れなかったんだ?」という事をわざわざ分析して書くならうた組み575に限らず大体4つ理由のうち必ず一つは当てはまる。

1.そもそも知らない

2.中身が面白くともニッチな雰囲気で狭き門

3.馴染みがないジャンル

4.値段が高い

1はそもそも宣伝量で解決出来るし
3も馴染みのあるジャンルにしていくためにしつこく粘る気があるのかという会社の意思次第で決まる。
2は大体ユーザーの口から「面白いのに流行らない、興味を持ってくれない」と言われる要因となる。
ソウルサクリファイスであればグロやダークな印象がまずとっつきにくいんだよなぁ、とかいう形の感想になるだろうか。

大体この4つの原因は売れないゲームのほとんどは共通するものを持っていてわざわざ売れなかった理由など書く必要すらないわけである。

その売れなかった理由も"定着させるぞ""もっとゲームを面白くしてやるぞ"というゲーム会社の粘り強さで覆される可能性すらある。

売れなかったゲームに対してユーザーが唯一出来る事があるとすればそれは売れない事の分析ではなく例えゲームそのものがユーザーを選ぶ狭き門であったとしても、ユーザーはそのゲームを支持し、ブログなどの伝えるツールを使っている以上は、どの様に面白いのかと言う事を伝えていく事であり、その門を少しずつでも広げていく事だけである。

ユーザー側がメーカーに面白さを願うならともかく売れるための妥協案を提示するなどもってのほかじゃないだろうか?

そもそもこの記事にはまず筆者自身がこのゲームをプレイして何が面白いと思ったかそして何がつまらないかと思ったかという、ゲーム内容に迫るものが一語たりともなくひたすら内容に関係が無いところで「こうしなかったから売れなかった」という意味のない分析に終始している。

しかもその分析すらも「だったかもしれないです」とか「可能性もあります」といったあいまいな言葉で埋め立てられている。

こんな事ゲームユーザーがして何が楽しいだろうか?何の意味があるだろうか?

例えば

「ゲームかなーなんていう糞サイトを立ち上げずに管理人が真っ当に生きるにはどうしたらよかったか」

という事を真剣に考えても何の意味もない。

あの時こうしたら良かったなんていうのは全て結果論でしかないわけですから。

面白いのに売れてないゲームがあるならば、意欲的な作品があるならば、「ゲームその物の魅力」をメディアの端くれのつもりなら伝えようとしろよ、と思う。

少なくとも私が「ゲームかなー」様ほどのアクセス数があるなら、自分はそういった事にそれを活かそうとするだろうと思う。

別にこのサイト問わず、様々な媒体でゲームがこのようなアナリスト気取りのおもちゃにされている事は残念でならない。

「売れなかった理由」に文字数を費やすのを「このゲームが面白い理由」に文字数を費やせば、1000人いる読者のうち1人くらいは興味を持ってくれるかもしれない。

或いは「このゲームがつまらなかった理由」に文字数を費やせば、ゲーム開発者につまらなかった事が伝わるかもしれない。運がよければ次はもっと面白いゲームを出してくれるかもしれない。

何か物事を伝えると言う事は一瞬一瞬がチャンスではないだろうか。

少なくとも私はそう思っているし、どうせこういったツールを使うなら、そうした事に労力を割いた方がよっぽど良い機会を生むだろうと思う。

一着でゴールする直前の馬を見て「あの馬が一位になるでしょう」或いはびりでゴールする直前の馬を見て「あの馬が最下位になるでしょう」なんて誰にでも言えるだろうから。




筆者:ロジオン

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