2012年5月12日土曜日

【3DS】ファイアーエムブレム覚醒 (大改訂・ネタバレ無し) ★おすすめゲーム

「近年稀に見る老舗シリーズ物の最高傑作」

(ファイアーエムブレム覚醒の記事が一番読まれていたのですが、最初の記事は一部の内容に偏るイマイチな出来で心残りでしたので、大幅に改訂させて頂きました。尚ゲームをされてない方が読んでもゲームプレイに支障をきたさない範囲で書かせて頂きました。)


ゲーマーなら自分が愛するシリーズ物が一つはあると思う。
それがどういうわけか時が経つと共にそのシリーズは劣化し、

「次はやってくれるはず」

というわずかな期待を胸に新作を買っても裏切られてしまう…

いつしかそんな事が当たり前になってしまった。

ファイナルファンタジーはまさにその最たる例だろう。
(FFに関してはもう、FSCやPS時代(7くらいまで)のファンに対しては作られてないのだろう。)

オウガもリメイク作品、タクティクスオウガ運命の輪が発売された。
待望の新作ではあったが、あらゆる方向につぼみをつけつつ、そのどれもが花にはならなかった…という非常に、非常に惜しい出来の作品となった。

こういう出来事の背景には色んな要因があると思う。
実際にゲームで出来ることに対してユーザーの妄想が現実を超えている。
ゲーム製作期間が当時より短い。にもかかわらず、当時のクォリティと同じもしくはそれ以上の物を求められる。そしてゲームは当時より売れない。

もう何年もこんなバッドスパイラルにはまってしまったように見える。

ファイアーエムブレム覚醒が発表された当初「覚醒?なんじゃそりゃ」と思ったのと、キャラクターデザインがなんだか同人ゲームのような雰囲気だなぁと思ったのが正直な感想だった。
知り合いもそのような感想だった。

しかしゲーム情報が解禁されると共にこのゲームのキャラクターデザインは悪くないんじゃないかと思えてきた。

最近はファンタジーRPGでも女の子しかいなかったり、明らかにある特定の方向に向いたキャラクターデザインが目立つようになってきた。
(いつからそうなったのか、もしくは元からそうだったのかもしれないが、ゲームヲタクというものと二次元美少女ヲタクがいつしか一緒になっていた。ゲームヲタクの中に二次元美少女ヲタクの要素があったとしてもそれは当時のゲーマーというのはそういうゲームに二次元美少女的な要素を求めなかっただろう。今よりももっとボーダーラインがきっちり引かれていた気がする。気がするのであって断言ではないが。)

昨今そういうキャラクターデザインが多い中で覚醒のそれは何か際立って特徴的な部分があるわけでは無いが、ある特定の層にも向いていないギリギリのラインをいく「真っ当」なアートワークだと思う。

当時のFEほど古臭くなく、今のゲームほどは媚びていない。
極彩色絢爛なまるで遊郭にでも来たかのようなきらびやかなアートワークが多いこの時代ではこの洗練されたデザインはかえって強味になる要素で、新規ユーザでも親しみやすいデザインになっているだろう。

ここまでキャラクターデザインがしっかりしていると、実際のゲーム画面が不安になる。
ドット絵だった時代はドッターの技術力によりその時で出来る事で最大限表現していた。

それがポリゴン表現になると顔の大きさや等身もろもろ悲しい結果になる事が多い。

小林智美の美麗なアートワークのあのロマンシングサガもPS2(ミンストレルソング)になったらあの有様だ。未だにイマイチなポリゴンデザインのゲームは多い。
(筆者にとって、ドット絵を極めた時のような凄さを、ポリゴンに感じる作品は精々ベイグラントストーリーくらいしか想像がつかない。勿論この時代ではいくらでもすごい映像のものはあるにしても。)

オープニングで主人公とクロム一行が会話するシーンがあるけれど、非常に丁寧な画面だなというのが第一印象だった。

特に凄いなと思ったのはリズの髪型の再現で、よくあのふわふわした質感を出せたなというのと、歩いてる時もそれがゆれたりするというのは細かいところにこだわっているなぁと感じた。

若干だいこん足が気になったり顔が変だったりするキャラクターもいるけれど…
画面に関しては間違いなく標準以上の出来栄えだと断言できる。

少し残念だったのは魅力的な女性キャラクターが沢山いる一方で男性キャラクターはあんまり格好良いのがいない。クロムは臭すぎるほど王道だし、アーマーナイトのカラムはオタッキーっぽいし…(彼にも良いエピソードはある。)
飽くまで個人的にはロンクーが一番格好良いかな~。

キャラクターのこの性質は物語の出来を大きく現している。

このゲームに限らず最近のゲームはキャラクターにせよストーリーにせよ一言で言いきれてしまうものが増えた。性格を一言で表す言葉で最も流行し、一般認知された言葉は「ツンデレ」だろうか。
一つの要素を極端にデフォルメして作り上げられたキャラクターはキャッチーではあるが単純とも言える。
どこかで見たようなキャラ設定は大量生産人格、定型人格、テンプレート人格etc…
いくらでも言えるだろうが、この様に感じてしまう。
(そこに最近のゲームはテンプレート萌え絵が付属する。)

これはゲーマーの言外のニュアンスを読みとる力というものが退化したんだと思う。
昔のゲームや映画は限り無く、受け手の想像力を働かせるものが多かった。
今のゲームはむしろ真っ向から反対の事をやってる風に見える。
(それはそういう読みとる力が無くなった人間に対して作られているのだから、むしろ当然と言えるかもしれない。
それは近年人が人に対して無関心、無思慮、鈍感になったことと決して無関係ではないだろう。)
筆者の書いてる事に「何を偉そうに」と思う人もいるかもしれないが、想像力の入り込む余地のない、ゲーム、映画、小説が面白いだろうか?

過去のファイアーエムブレムやタクティクスオウガは一言では割り切ることの出来ないキャラクターや、その一言、イベントシーンが沢山あった。キャラクターが喋らないシーンでは何を考えているんだろうか?と考える余地があった。
そういうものが魅力だったゲームは他にも沢山あるが、本作ではそういう部分はむしろ失われてしまった。

そういう部分に決して無関係でないのが声優の存在だろう。
リアリティに欠けるキャラクターの人格に声優の組み合わせは、ステーキの後にチョコレートパフェを食べるようなくどさがある。(考えただけでウンザリする。)

決して漫画的な、アニメ的なキャラクターの人格が駄目と言っているわけではない。
そのキャラクターの人格にもってきて、更に声優ときては決定打すぎるという話しである。

ゲームに声優の演技が付いた瞬間、それ自体がどこか世界から浮いたものになってしまう。
何度も例に出して申し訳ないが、ロマンシングサガ ミンストレルソングはそれで随分チープな作品となってしまった。

声優の演技からは、普段私たちが知っているはずの人間の心を感じる事が出来ない。
(それはSEXを知っている者にとってAVが馬鹿馬鹿しい、白々しい、滑稽と感じるのと同じ事じゃないだろうか。)

つまり声優の演技とは実にオーバーで嘘臭いのである。

我々が文字を読んだ時、そこから頭の中で再生される声の方が余程声優より声優らしい役割を果たしてくれる。

声優ファン「それは演技なんだから当たり前だろう!馬鹿かお前?」

まぁまぁ落ちついて最後まで読みたまえ。

筆者が高校の頃、クラスには二人くらい重度の声優ファンがいて、

「ジブリの映画は声優を使わないから嫌いだ。」

と、言われた事がある。

それに対し筆者は

「恐らくジブリの映画には、勿論話題性もあるだろうけれど、演技力や人間力で人を起用しているんだと思う。」

と答えた。当時言ったことと一語一句間違っていないと思う。
そして今でもこういう風に思っている。

キムタクを起用する事で何かとキムタクというだけで叩かれる事が多いが、ハウルの動く城も例外なく叩かれた。

個人的には全く違和感が無かった。

最後は個人の裁量に任される世界なので絶対の解答というものは存在しないが、有名人、アイドルという肩書きに囚われすぎているのではないかと思う。

彼の肩書きがアイドルでは無い男の声優だったら?或いはジャニーズ出身ではない普通の俳優だったら?

ワイン愛好家は多くいるだろうが、安物のワインを極上ワインとして飲ませてみたところ
最もな理由をつけてその安物のワインを極上ワインとして語ったという例はよくある。

ここでいうなら声優ファンは声優という事に囚われすぎて現実的な演技力や人間力を度外視してしまっているのではないだろうか。

しかも皮肉な事に声優ファンが持ち上げる声優と言えばアイドル崩れの声優ばかりである。

擬制の終焉からは程遠い気がする。

さて、ある声優の知り合いに、こうも言われた事がある。

「ある程度オーバーな演技をしないと人に伝わらないんだよ。」

果たしてそうだろうか?

度々引き合いにだして申し訳ないがジブリの映画でそのような不自然さを感じたことはほぼ無い。
(勘違いしないで欲しいのはアニメ界絶対の権威としてのジブリを引き合いに出しているわけではなく、声の使い方が巧い例として引き合いに出しているだけである。)

仮にオーバーに演技をしていたとしてもそれを感じさせないだけの技量があるのか、そもそも現場の演技指導が根本的に違うのかもしれない。
声優は声優ファンに向かってしか演技をしてくれない。
声優を知っている者にしか喜べる演技をしてくれない。
テイルズシリーズがテイルズファンにしか求心力が無いのとよく似ていると思う。
(とはいえセルジュやソワレの声は凄く好きになってしまった。萌え~。)

しかしニーズというものにこたえるんだとすればそれらキャラの人格や声優の起用は決して間違った選択では無い。
決して物語が感動出来ないものというわけではないし。

ゲーム以外でも何度この手のストーリーを見てきたかは分からないし、むしろこの手の王道的な物語のゲームは避けてきたが、弥が上にも感動してしまう展開というのは好きでも嫌いでも、存在するなと思った。

なので、どういう年齢であっても標準的なカタルシスは得られるようになっている。
(割と似たようなストーリーでどちらが精神的に引きずったかと言われたらそれはイースVIIに譲る。イースVIIをやったことのある人で何故イースVIIと比べるのか?と気になる人はこの覚醒をエンディングまでプレイしていただきたい。)

本作の物語の秀でてる点としてまず主人公の存在が挙げられる。
こういう、自分で主人公を作成するタイプのゲームは周りのNPCにおいてけぼりにされる事が間々あるが、このゲームの主人公は物語の謎に大きく絡んでいる。

ただ絡んでいるだけでなく、口調を設定すればよく喋るし、NPCとも交わるため、この手のゲームのどこか浮いた存在の主人公、と言う風には感じ無い。
そして主人公は記憶喪失でこの世界に突如として現れるため、まるで「自分自身」がこの世界に転移してしまったかのように錯覚する事ができる。

そして如何にも一般人のような容姿のキャラクターというのがまた上手いと思う。

また、オープニングがああいうはじまり方なので、周回プレイをしても全く違和感無く始める事が出来る。

そう、貴方はこのゲームをいつ始めてもよく見知った友人として世界は迎えてくれるのだ。
ここは本当によく出来ていると思う。

ここは若干のネタバレになるかも知れないが、ゲームの章の数は外伝、これから配信されるDLCクエスト、追加のマップ、などもあわせて50ほどにはなるだろうか。

ただ本編に関しては若干短いような気もする。ここからさらに続くんだろうなというところで後半割と早めな展開でラストまで行くのでもうちょっと細かくてもよかったと認識を改めた。

しかしゲームの難易度はノーマル・ハード・ルナティックの三つ(最終的には4つ)用意されており、
ルナティック(超上級モード)はノーマルモードの倍は時間がかかるだろうから、この章数で良かったのかもしれないとも思う。


シミュレーションRPGはゲーム後半にも前半のキャラクターは余程重要なポジションでないキャラクターの場合はもの言わぬ人形となってしまう。

多分そういうことに配慮して作られたのが「みんなの部屋」だと思う。
本編中では絶対に見られないような組み合わせでキャラクター同士が談笑をするが、ややこれが中途半端な印象。

会話パターンは主に2つで次の戦いで協力しようというものと、キャラの特性を活かした質問を投げかけ、答える側もこれまた特性の活きた素っ頓狂な返事をするというもの。

質問をするキャラによって返答が変わるというわけではなく一定であるため、10回くらい見たら飽きてしまう。

もうちょっと会話パターンがあってもよかったんじゃ?と感じた。

しかしそういうADV的な楽しみは結婚システムに集約されている。
異性や一部の同性には仲良し度が設定されていて、仲良くなると会話を見ることが出来、異性は仲良し度が最高になると結婚する事になる。

組み合わせによってはキャラクターの思わぬエピソードを知ることが出来る。

主人公は全ての異性と結婚する事が可能で、主人公だけその結婚相手から特別な一言をかけてもらえると共に特別な一枚絵が表示される。

これは非常に嬉しいサプライズ。…ムフフ。

筆者はスミアとすぐに結婚しちゃったんだけど後からセルジュが出てきて「ウワァァァァアアアァアァア」となった。

結婚は計画的に。

浮気システムがあったら別の意味で覚醒しただろうか。

結婚システムはキャラの知られざるエピソードを知る事が出来たりするので面白いが、後半に出てくるキャラクターは仲良し度を高められるキャラクターが少ないし、後半の異性に関しては主人公がほぼ独占している。

つまり主人公だけが結婚が出来て子供を作ることができるのだし役得ではあるものの、子供の容姿を調べるために複数回プレイするのは非常に大変なことだと思う。

これだけ組み合わせを用意したのだから、後半のキャラクターに関してももうちょっと頑張ってほしかった。

旧作FEファンにとっても嬉しい配慮が随所に施されている。
例えばいつの間に通信では、紋章の謎のチームが配信されたりするのだ。
アイラ、ジグルド、アーダン、懐かしいキャラクター達ばかりだ。他にも昔のFEのチームが配信されるようだ。

配信マップは新しい外伝が加えられるもので、「!!!!」と驚きのあるサプライズシナリオとなっている。

そして本作は任天堂初の有料DLC配信で話題となった。
DLCにはデータ丸々追加型のDLC、ゲームに最初から入っているデータの利用権利を買うアンロック(鍵をあける)方式の二種類があり、FEの形式は前者であり非常に良心的と言えるだろう。
(DLC=ダウンロードコンテンツの相場はデータ追加、アンロック問わず200~350円ほどである。)

FEのDLCには、過去のFEの新しく描き下ろしたキャラクターとマップがついてくる。
この特別なマップでは覚醒のキャラクター旧キャラクターが会話するシーンもあるが、基本的には淡々と敵を倒していくものとなる。
絵が描き下ろしで旧キャラクターが仲間になるのはお得だが、もう少しシナリオ自体にギミックがあってもよかったと思う。

先程書いた配信チームの旧キャラクターは異界の住人として、DLCの旧キャラクターは英雄を召喚する魔符として、覚醒のキャラクターとは親しくならない理由が、一定の秩序を保つためにつけられてはいるが、ここまでシリーズの集大成的なゲームにするのなら、旧キャラクター達との会話や仲良し度があっても良かったなぁ。

膨大なデータ量になりそうだけれど。

FEをやったのは実はSFC以来で音楽の進化にも驚いた。
オープニングの音楽はそれだけでも感動出来る。戦闘の音楽も格好良い物ばかり。
この点だけでも最早ライバルのオウガシリーズに引けを取ることは無くなった。
DLCマップではあの懐かしい音楽も耳にする事ができる。

ゲームシステムに関しては、基本的なベースの部分に沢山の改良が施されている。
例えばほとんどのキャラクターは自由にクラスチェンジする事が出来るし、スキルの引き継ぎも出来、キャラメイクの幅がかなり広がった。
戦闘に関しても二人で一組のダブルという機能が加えられた。一人がもう一人を支援し、ステータスが上昇し、仲が良いともう一人も攻撃するといったシステムである。
ただしこれを使用するのは味方だけであり、すれ違い通信で受信した他のプレイヤーのチームは仕様してこない。
敵も使用してきたらもっと面白かっただろう。
マップに関してもずっと平坦だから、そろそろ画期的な進化が見たい。


ファイアエームブレムとタクティクスオウガは、日本を代表するシミュレーションゲームとして、それぞれのファン同士が、あっちの方が良い。こっちの方が良いという会話が繰り返されてきた。

タクティクスオウガ運命の輪をオウガシリーズ最新作と捉え、本作と比較した場合、そのゲームの出来は個人的には本作に譲ったのではないかと感じる。(筆者は重度のオウガプレイヤーである。)
あらゆる課題点を残しつつも、ゲームを通じて製作者から「作りきったぞ!」と感じられるものこそが、良いゲームの条件だと思う。

数ある老舗メーカーのシリーズ物が時代という怪物を前に倒れていく中で、着実に進化し、そして堅実かつ誠実な作品を世に送り出した事に惜しみない拍手を送りたい。

そして今後、配信される新たな外伝やDLCで更に覚醒していくFEに目が離せない。


【筆者:ロジオン】

ファイアーエムブレム 覚醒
任天堂 (2012-04-19)
売り上げランキング: 235

0 件のコメント:

コメントを投稿

About this blog

Translate

Popular Posts

Reader